Sonos創業ストーリー
サクセスストーリーによくある話かもしれませんが...
サクセスストーリーによくある話かもしれませんが...
偉大な起業家というものは、素晴らしいビジネスアイデアを思いつき、仲間を見つけて事業を立ち上げるものの物別れした後、ライバルの既存ビジネスを打ち負かし、最終的に成功を手に入れるという道のりをたどるといいます。
Sonosのサクセスストーリーも、一見そのように見えるかもしれません。ジョン・マクファーレン、トム・クレン、チュン・マイ、クレイグ・シェルバーンら4人の創業者は、当時まだ存在していなかったテクノロジーをベースにした大胆なビジョンを打ち出しました。この4人はインターネットベースのビジネス構築において第1段階を成功させます。そして、そこで得られたインサイトを活用し、家で誰もが音楽を楽しめるような新しい方法、つまりパソコンやインターネットを通じて、素晴らしいサウンドをワイヤレスで配信し、複数の部屋で体験できるような仕組みを開発することを次の目標に定めました。彼らは優秀な人材を集めてチームを結成し、素晴らしい製品を一から作り上げることに成功した結果、世界中の音楽ファンがこの新しいブランドに夢中になりました。
成功までの道のりには何が?
では、創業者たちはその過程でどのような焦りや失敗を経験したのでしょうか。何か大きな教訓を学んだでしょうか。Sonosのこれまでの軌跡、そして今の歩みはよくあるストーリーと言えるかもしれません。ではこれから、Sonosのサクセスストーリーの秘密をご紹介しましょう。
パート1: サンタバーバラからの風景
4つの重要なインサイト
1)インターネット標準が普及しているということは、インターネットはプログラム可能なプラットフォームである。
2)コンピュータの脳や神経系に当たる、集積回路、CPU、その他の技術のコストが低下してきたことは、このようなコンポーネントが急速に普及品になりつつあるということを意味する。
3)この4人の創業者は当時ビルダーが何を購入していたかを把握しており、デジタル化の波がほぼ無限の可能性をもって、こうしたビルダーの周辺から広まりつつあることを理解していた。
4)トムの言葉によると、ネットワーキングにおいて「大規模なものは小規模なものにもなり得る」ことをこの4人が認識していた。広域ネットワークにより市場が創出されることで、ローカルエリアネットワークの信頼性が高まるだろう。
これまでの経験、リソース、インサイトをすべて考慮した結果、この4人の創業者たちは自宅で聴く音楽に目を向けることになったのです。
…すぐにというわけではありませんでしたが。
ジョンが3人のパートナーに最初に提案したのは、実は航空にかかわるものだったのです。旅客サービスの一環として、機内でローカルエリアネットワーク(LAN)を利用できるようにするというのが彼の考えでした。このアイデアにはジョンが期待したような高い関心が集まらなかったため、また振り出しに戻ることになりました。
しかしその後まもなく、この4人の友人たちが共通して抱いている音楽への愛着からインスピレーションが生まれたのです。何百枚ものCDの保管場所の悩み、もつれたステレオやスピーカーのケーブルの処理、家庭でマルチルームのオーディオ体験を実現するためにかかるカスタム配線の多大な費用の工面といった大きな不満をお互いが抱えていたことも大きな動機となりました。これが、それぞれのユニークな才能、リソース、インサイトを活用する良い機会をもたらしたのです。
ビジョンはシンプル: 音楽ファンが家のどこにいても音楽を楽しめるようにすること
2002年に抱えていたひとつの問題。それは、このアイデアを実現するために必要な技術がほとんど存在していないということでした。音楽とテクノロジーに目を向けたこの将来の偉大なスタートアップ企業は、ロサンゼルスから90マイル以上、シリコンバレーから250マイル以上離れた地、つまり2つのグローバルハブの間に拠点を置くことになります。空想ともいえるような壮大なビジョンとともに、それは始まりました。
パート2: 「彼らは本気なのか。」
2002年の時点で、家庭で優れたオーディオ体験を実現するには、ケーブルを本棚や家具の裏に隠し、ボンゴドラム並みの大きなスピーカーに接続し、オーディオジャックをレシーバーとプレーヤーの背面の穴に差し込まなければならず、CDやとテープのように物理的なメディアが必要でした。さらに、複数の部屋で音楽を聴くには、週末に何時間もかけて、家中の壁に穴を空け、メインレシーバーからスピーカーにケーブルを接続しなければなりません。
Napsterはパソコン上で再生する音楽をオンラインで見つける手段として誕生したわけですが、当時デジタル音楽というものはまだ新しく、インターネットから直接音楽をストリーミングするというアイデアは無理な発想だと考えられていました。今日のリーダー的企業のPandora、iTunes、Spotifyなどの音楽ストリーミングサービスはまだ存在しておらず、iPhoneもなかった時代のことです。2002年におけるインターネットサービスのトッププロバイダーはダイヤルアップサービスのAmerica Onlineで、米国で高速ブロードバンドを利用していた世帯は1,600万に及びませんでした。
それでもこの4人の創業者は、ビジョンを見定め、チームのメンバーを増やすためにユニークで優秀な人材を探し求めました。
第一段階は、構想を具体的に紙に書き出すことでした。
クレンによれば、約3か月かけて、このようなスケッチが出来上がったといいます。
次の段階は、ある人材を採用することでしたが、これにもかなりの時間を要しました。
創業者たちがサンタバーバラに愛着を抱いていたのと同様、シュラートはボストンに留まることを望んでいたため、Sonosはケンブリッジに第2のオフィスを開設しました。ただし、どちらかを本社とするのではなく、両オフィスとも同等に扱うという約束を交わしていました。
Sonosのような当時無名で成功の見込みの低い企業が、なぜこの世界トップクラスの人材を獲得することができたのでしょうか。この創業者たちにはSoftware.comで成功を収めていたことに加えて、大きな強みがいくつかあったのです。それは、技術的専門知識における評判、優秀なエグゼクティブ、エンジニア、設計者の幅広いネットワーク、才能を見抜く洞察力、そして人材にインスピレーションを与える大胆なビジョンです。
彼らはサンタバーバラのレストラン「El Paseo」の階上にある広いオープンスペースを事務所として彼らは日々仕事に勤しみました。出だしは好調とはいえませんでした。
ニック・ミリントンはこのように回想しています。「私たちが働いていた部屋は、まるで学校の教室のようでした。机が並べられていて、ジョンが教壇に当たる位置に座っているのです。彼はプロトタイプのアンプを作成していて、正弦波を使ってテストを行うのですが、これがひどく耳障りでした。私はオーディオトランスポート層の開発に携わっていたのですが、中々うまくいかない上に、この不快な雑音です。しかも、1日中CEOが目の前で私の仕事を見ているという状態です。耐えられなくなって、ヘッドホンを買いました。」
マルチルーム向けのワイヤレスホームオーディオシステムを発明するだけでも十分に困難であったにもかかわらず、チームは使いやすさについて明確な目標も定めていました。つまり、誰でも素早く直感的に設定でき、どのような技術やサービスにもうまく統合できるような製品、あらゆる住宅環境で優れたサウンドを実現する製品を目指していたのです。
このようなユーザー重視の意思決定を重ねてきたことで、Sonosのエンジニアと設計者からなる少人数のチームはプロジェクトの当初から数多くの技術的な問題への対応に追われることになりました。技術を統合するために、技術プラットフォームとしてLinuxを選択しましたが、オーディオやコントローラーのリモートボタン、スクロールホイール、ネットワークに必要な技術は当時まだ存在していなかったのです。そのため、Sonosチームはそれを一から構築しなければなりませんでした。
優れたマルチルームオーディオ体験を実現するには、リスナーが気づくようなギャップを発生させずに、複数のスピーカーへ瞬時にそしてワイヤレスでオーディオを伝達する必要があります。その技術を何とかして生み出さなければなりません。
チームが迫られた選択:各スピーカーに音楽を取得させるべきか、マスタースピーカーから配信させるべきか
「問題は、分散インテリジェンスと中央インテリジェンスのどちらを選ぶかでした。私たちは分散型を選択しました。簡単だったからではありません。それが、私たちが実現したいと思っていた体験に適したアーキテクチャだったからです」とジョナサン・ラングは説明しています。
ユーザーにとって最高の体験を実現するため、チームは後者を選択しましたが、その選択にはそれなりの「連鎖反応」が起こりました。つまり、2003年当時、ネットワークの中断(楽曲が途中で止まる)を防ぐためにバッファリングをどう管理するか、またユーザーがグループからマスタースピーカーを取り外したらどうなるかということです。
最終的にSonosの主要特許技術の1つとなった技術を用い、チームはマルチルーム向けにデリゲーションとよばれるプロセスをカスタマイズすることで、すべてのスピーカーに音楽をワイヤレスで中断なく伝送できるようにしました。オーディオパケット経由で再生される音楽のデジタルビットをタイムスタンプするという斬新なアプローチに加え、Sonosシステムで音楽を同期で再生することが事実上可能となったため、ユーザーは簡単に部屋同士を接続・切断し、家中のどの部屋でも音楽を楽しめるようになりました。
ニック・ミリントンは当時の事をこう語っています。「当時は不可能だったFUDがたくさんありました。」「基本的にはPCでプロトタイプを試し、理論的なテストよりも判定テストに頼っていました。」
まもなく、問題がひとつ解決しました。しかしパソコンはネットワークノードとして接続されたままだったため、Sonosは独自のハードウェアを製造する必要性に迫られました。チームはワイヤレス接続の実現に苦戦を強いられていました。マクファーレンは前向きだっただけでなく、固い信念をもっていました。システムがWiFiで動作するようにしなければなりません。
これについてジョナサン・ラングは、「デバイス間で通信できるように、作り直さなければなりませんでした。当時の私たちの辞書には、『妥協』という文字はなかったのです」と語っています。
チームはメッシュネットワークが鍵であることに気付きました。これは、2003年には、戦場などの移動性の高い環境で使用されていた概念でしたが、住宅に適用されたり、音楽体験に対する厳しい要求を満たすために適用されたりするような前例はありませんでした。開発、実装には、Sonosは2つの選択肢のうちの1つを選ぶ必要がありました。理想的なユーザー体験を犠牲にして簡単なエンジニアリングソリューションを選ぶか、それともエンジニアにとっては極めて困難ではあるが、ユーザーにとってシンプルかつ魅力的な製品を目指すべきか。
ラングはその理由をこう説明しています。「ネットワーキングの代替アプローチとして、他のアクセスポイントを使用することを考えました。しかし、これではユーザー体験が低下することになると確信しました。たとえば、家の中で誰かがネットワーク上で「印刷」ボタンを押したりすると音楽が止まってしまいます。そのようなことは避けなくてはなりません。」
チームはメッシュネットワーク機能を他の高度な技術とともに追加しました。そして、2003年9月までに、ジョンと他の経営陣にプロトタイプを発表できる状態が整いました。他のほとんどのプロトタイプと同様に、完璧に機能している部分もあれば、今後改善が見込める部分、使い物にならない部分もありました。特に、メッシュネットワークは機能していませんでした。
Sonosは、オーディオ同期の発明におけるエリート開発者として、すでに同僚の間で高い評価を得ていたニック・ミルトンに目を向けました。ニックにネットワーキング経験が全くないことは、彼自身にとっても他のチームメンバーにとっても大した問題ではありませんでした。カリフォルニア大学サンタバーバラ校のある教員、コンサルタント、業者の協力を得て、ニックは6週間メッシュネットワークについて学習しながら、Sonosのためにそれを一から構築しました。Sonosではハードウェアも一から設計していたのです。
当時のマネージャー、アンディ・シュラートはこう語っています。「メッシュネットワークの概念自体は存在していましたが、オーディオ製品にはない考えでした。WiFiを搭載した組み込みシステムに取り組んでいた会社はほとんどありませんでした。WiFi搭載済の良いLinuxドライバーがなかったためでしょう。私たちは独自のハードウェアを構築していましたが、まだテストは完了していない状態でした。これまで一緒に働いた人たちの中でも、ニックは飛び抜けて最高の開発者です。」
その間、ロブ・ラムバーンとクサノ・ミエコは、製品スペックの作成、ワイヤーフレームの開発、ユーザーグループテストを行い、美しく設計されたハードウェアで適切なユーザー体験をもたらすタスクに取り組んでいました。
2004年初めまでに、テストされていない新しい技術を組み込みんだ、システムの基本フレームワークが構築されました。次の段階は、ソフトウェアエンジニアを悩ませるバグへの対処です。
あらゆる工夫を試みたにもかかわらず、プロトタイプではわずか3メートル離れているだけでもワイヤレス通信は機能しませんでした。特に組み込みシステムについては、開発者ツールやデバッガーがまだなかった時代のことです。
そこでニックとジョンは、ジョンの車の後部座席にプロトタイプを詰めた段ボール箱を積み込み、友人のハードウェアサプライヤーに会うためにシリコンバレーに向かいました。 その友人から得た助言は「アンテナ」でした。
これにより、通信規格 (当時は802.11-b/gのみ)、アンテナの選択と配置、ネットワークデバイスドライバーとスパニングツリープロトコルに関する難解な技術的課題を処理する作業がまた始まりました。私たちの生活空間には、信号干渉を引き起こすさまざまな要因が存在しています。この期間は、ただただ仕事に没頭するのみでした。来る日も来る日も膨大な作業に追われました。突然問題が解決したり、飛躍的な解決策が生まれたりすることはなく、日々わずかな進展を見るのみでした。
開発者にとって最も悩ましいバグは、いわゆる「再現不可能なバグ」です。こうしたバグの多くは、サンタバーバラとその周辺に住むSonos社員の自宅でのテストで発見されました。バグの中には、ある社員の自宅だけ再現不可能なものもありました。これを特定して修正するにはパケットスニッファが必要で、開発者のフラストレーションは募るばかりです。
アンディ・シュラートはこう回想しています。「15〜20個のプロトタイプが初めて完成しました。私たちは嬉しくてたまらず、そのうちの10個を1人の自宅に持っていって使ってみることにしました。しかし、家で設定して試したところ大失敗でした。ほとんど機能しないのです。そこで、2個だけにして問題を見つけ、次に1個ずつ追加していくという作業を延々と続けました。根気のいる作業でしたが、その甲斐はありました。」
2004年夏までに、Sonosはバグに対処し、プロトタイプの機能の信頼性も高まりつつあったことから、チームは業界内で非公式にシステムのデモを開始しました。その反応から、チームはこれまでの努力が報われたことを確信しました。 遂に、全く新しい形の製品が誕生したのです。
「私は初期の頃の知的財産管理保護を担当していました。その頃から、私たちの選択が正しいことを強く確信していました。しかし同時に、作業の合間にふと自分たちが孤独であることに気付くのです。しばらくの間は、『なぜ誰もこれに取り組もうとしないのか』と不思議に思っていました」ジョナサン・ラングは、と説明しています。
業界の反応はかなり衝撃的なものでした。2004年の「D: All Things Digital」カンファレンスでデモを行ったことで、Sonosは一躍有名になりました。同カンファレンスのメインステージでは、故スティーブ・ジョブがホームオーディオソリューションとしてAppleのAirport Expressをメインステージで発表していました。この製品は、ユーザーがわざわざコンピュータから音楽をコントロールする必要がありました。この時Sonosは、より高度な機能を備えた、ユーザーが指先1つで完全にコントロールできる製品を会場の片隅でデモしていたのです。
画期的な音楽体験というものは、テーマとなる音楽とともに発表されることがよくあります。例えば、MTVはバグルスの「ラジオ・スターの悲劇」を最初の音楽ビデオとして放映し有名になりました。
Sonosの場合は?Sonos初の製品「ZP100」の発表時には、長年のSonosのサポーター/アドバイザーであるリック・ルビンがプロデュースしたビースティ・ボーイズの「ノー・スリープ・ティル・ブルックリン」が大音量で再生されました。
ZP100発売に至るまで日々徹夜作業を続けてきたSonosのエンジニアにとって、「ノー・スリープ」は共感を呼ぶ歌詞であったことでしょう。しかし、お客様に最適な体験を提供するためには、より実用的なアプローチでテスト用の曲を選択する必要があります。チームは初期の段階では、アルファベット順に並んだ曲とアーティスト名のリストをスクロールしながら選択していました。
Sonosのエンジニアがテスト用として最もよく使った曲は、マッチボックス20の「3AM」です。これは、単にこの曲がリストの一番上にあったからにすぎません。最も多くプレイされたバンドは、10,000マニアックスです。
クサノ・ミエコは、また別の出来事を次のように回想しています。
「初期のZone Playerを初めて見た外部者の中には、消費者向けテクノロジーを扱うある有名企業のエンジニアと経営陣がいました。これはまだ発売前のことで、同社の方々とお会いしたのはこれが初めてでした。私たちがZone Playerとコントローラーを稼動させると、彼らのうちの1人がコントローラーを持って会議室から駆け出していってしまったのです。私たちは皆驚きました。数分後、その人は息を切らしながら、コントローラー持って戻ってきました。その人はコントローラーを駐車場まで持っていって、それでもきちんと機能するかどうかを確認したかったようです。もちろん問題なく機能しました。」
初期の頃の業界からの反応はチームの励みにはなりましたが、だからといってその後Sonosに挫折がなかったというわけではありません。最初の製品を2004年に出荷するというスケジュールを守るため、共同設立者のチュン・マイは適切な契約を交わせるメーカーを求めて、ハードウェアのフォームモデルを手にアジア全域を駆けずり回りました。メーカーとの契約が完了した時点で、ジョナサン・ラングは工場ラインを監督する責任を引き継ぎました。ジョナサンにとって、これは新たな経験です。生産が開始すると、ジョナサンはコントローラーに関連する「小さな問題」に気付きました。使用している接着剤がうまく機能していなかったのです。
「私は決断を迫られました。しかし、自分の中ではすでに分かり切ったことだったのです。Sonosとしての適切な判断は、製造を停止して既存製品を破棄し、予定を遅らせ、適切な接着剤を見つけることだということを。ジョンと経営陣は私の判断を支持してくれました」とジョナサンは語っています。
パート3: 「間違いなく最高です。」
その後まもなく、2005年1月27日にSonosは最初の製品「ZP100」を出荷することができました。瞬く間に業界から称賛の声が届きました。高評価の製品レビューや肯定的なマスコミ報道も伝わりました。最初の数か月間はこうした良好な状態が続き、今後数年の展望も明るいものとなりました。レビュアーたちは、その設定と設計のシンプルさだけでなく、高い信頼性と優れたサウンドについて高く評価しました。上級製品レビュアー、ウォルト・モスバーグ氏(当時、ウォール・ストリート・ジャーナル誌所属)は、「私が見て試した製品の中で、Sonosシステムは間違いなく最高の音楽ストリーミング製品です」と記述しています。
マスコミや業界からあまりにも多くの肯定的な反応が上がったため、Sonos経営陣は困るほどに収益が急増するのではないかと考えていたようです。しかし、売り上げはそれなりには上がりましたが、驚くほどではありませんでした。2012年に、トム・クレンがフォーチュン誌にこう語っています。
「私たちはただ座って、賞賛の声を受け止めていました。」クレンは回想します...
「私たちはただ座って、賞賛の声を受け止めていました。」クレンは回想します...
「1日に5億ドルほどの売上があがると思っていたのに、なぜ伸びないのだろう」という思いがありました。その後、会社の経営は低迷することになります。「目の前が真っ暗になりました。結局のところ、Sonosを欲しがる人は誰もいないのだと思いました」と、クレンは述べています。 当時、会社はより大規模なワイヤレススピーカーの開発に取りかかっていましたが、その資本が不足していました。クレンを含む一部のスタッフは、友人に借金し、自腹を切って従業員の給与を支払いました(クレンによれば、特にチュン・マイは複数回にわたってポケットマネーを使っていたようです)。
Sonosは、いずれSonosのアイデアが消費者に受け入れられるという信念を持っていました。そのため、次世代システムと技術に賭け、自社の方向性を変えることはありませんでした。たとえ「早過ぎる」というリスクを負う可能性があるにもかかわらず、同社はトレンドを予測してそれを活用するジョンの直感に頼っていました。
第2世代と第3世代のシステムでは、PCを全く使わずに、プレーヤーに直接ストリーミングすることに目を向けました。2006年、Sonosは初の音楽サービスとしてRhapsody(現Napster)と提携しました。結局のところ、同社にとってこれが大きな転換期となったわけですが、当時はまだ成果は明らかではありませんでした。
2007年にiPhoneが発売され、AppleのApp Storeによりアプリブームがもたらされたことを受けて、SonosはiPhoneユーザー向けに独自の無料アプリを発表しました。Sonosのリモコンを購入しなくても、ユーザーのiPhoneをコントローラーとして使用できるようにするものです(2011年にAndroidユーザー向けのSonosアプリが発表され、2012年にはSonosは独自のコントローラーハードウェアを段階的に廃止しました)。
2009年11月、Sonosはスマートなオールインワンのスピーカー「PLAY:5」を400ドルで発売しました。これは、Sonosのオリジナル製品「ZP100」発売時(スピーカーとコントローラー付きで2005年時点で約1,200ドル)のわずか約3分の1の価格です。これにより、Sonosの継続的かつ強力な販売拡大への期待がついに現実のものとなりました。また、製品の改善、これまで以上の音質重視、ソフトウェアのアップグレードを継続していく方向で重大な変革を行いました。さらに、この頃から、レコーディングアーティストやクリエイティブコミュニティの人々とのより緊密な関係構築にも注力するようになりました。
こうした関係が、Sonosを企業として新しい次元に導いたのです。家庭で優れたオーディオ体験を実現するためには、音楽の制作者にその音楽をどのように聴かせたいかを尋ねることが重要であることにSonosは気付きます。エンジニアや設計者も厳格ですが、ミュージシャンほど厳しい批評家は他にはいないことを認識したのです。
Sonosはプロデューサーやミュージシャン、作曲家などが関与するクリエイティブコミュニティを交えて、製品の初期テストとフィードバックプロセスを確立しました。2015年に生まれたTrueplayでは、最初から製品開発プロセスにアーティストの視点を活かすために、プロデューサーのリック・ルビンが顧問チームを率いています。
リックはTrueplayの誕生について、こう説明しています。「スタジオで新しいスピーカーを使用するたびに、専門家を雇いそのスタジオでスピーカーを調整してもらいます。部屋によってサウンドが異なるため、その空間に合わせてスピーカーをイコライズする必要があるのです。Sonos創業者のジョンに、同じ技術を誰もが利用できるようにする方法があれば興味深いものになると提案したのです」と説明しています。
パート4: 音楽ファンから、音楽ファンへ。
お客様の体験を第一に考えることで絶え間なく向上を目指す、そして自分がそうされたいと思うような形でお客様に対応するという企業文化が形成され始めた頃、Sonosはブランドおよび会社として堅牢な基盤を築いていました。2003年に確立した一連の原則に従い、新天地を切り開くために自らの限界に挑戦し先駆者になることを目指す優秀な人材が世界各地から集めました。
また、こうした原則を追求することで、品質に対する熱狂的な執着が生まれました。ジョナサン・ラングの判断にはこの執着が明確に表れています。たとえば、些細な接着剤の問題にすら妥協できず、Sonosの経営陣の支持を得て大量の製造品を破棄し最初からやり直したことや、初の製品を正確に仕上げるためには、長くつらい単調な仕事も厭わないというその姿勢です。
製品開発の始めから終わりまで、あらゆる段階において細心の注意を払い、シャープなデザインと使いやすさを兼ね備えた製品を生み出すことに対するクサノ・ミエコとロブ・ラムバーンの信念にもこの執着が表れています。
ミエコはアプローチについてこう語っています。「ユーザー体験は、表面的なものではなく、製品の奥深い部分で共鳴するものでなければならないのです。設計に対する正しい姿勢とは、徹底的に行うということです。技術的なアーキテクチャを設計して、きれいな箱に入れるだけでは十分ではありません。お客様のことをまず考えるべきです。差別化し特別なものに仕上げたいと思っている部分を磨き尽くすのです。そして、新たな発明に向けて総力を挙げて取り組むのです。」
振動をなくし、サブウーファーとスピーカーの多用途性を向上させるためにSonosが新しいプラスチック樹脂を開発したように、極端な努力を重ねることを厭わない企業はそう多くはありません。Playbaseの通気孔のサイズ、数、配置に極度な思案を重ね、非常に慎重なテストを実施しているところにSonosの企業文化が表れています(ちなみに、Playbaseには4万3,000個の孔が空いています)。
この厳格な創造性と精度の追求の姿勢と切り離せないものに、発明を保護することへの強い信念が挙げられます。知的財産に関する経験が不足していたのにもかかわらず、ジョナサン・ラングはSonosでの初仕事として、Sonosの新技術を記録し特許を保護する責任を担いました。Sonosでは、競合他社、業界パートナーシップ、技術革新に関する基盤として、知的財産権の永久的な真価をエンジニアと設計者が管理しています。
このように技術の卓越性を追求する中で、Sonosはすべての家庭を素晴らしい音楽で満たすというミッションが常に意識してきました。つまり、クサノ・ミエコの言葉を借りれば、Sonosは「音楽ファンによる音楽ファンのための」製品なのです。
今後も、Sonosのスタッフは単に驚異的な技術を構築するだけにとどまりません。家庭におけるよりリッチなオーディオ体験を創造していくことでしょう。つまり、エンジニアリングとクリエイティビティの間に存在する普遍的な隔たりを超えて、チームが力を結集して取り組んでいるのです。Sonosのスタッフは、ミュージシャン側の体験と家庭のリスナー側の体験に違いがあることを十分に認識しています。アーティストは、自身が制作した通りのサウンドを聴いてもらうことに満足感を覚えます。音楽ファンは自宅で一緒に音楽を体験する喜びを味わいます。
そういう意味で、このストーリーは原点に戻っていくのです。「あらゆる曲を、どの部屋でも、素晴らしいサウンドで楽しめるようにしたい」という大胆なビジョンを描いた数人の創業者たちの原点に。
出典
- “Sonos Spins into Control” Santa Barbara Independent、Matt Kettman、2015年8月27日
- "Sonos builds beyond its bass" Fortune、JP Mangalindan、2012年6月25日
- “How Sonos Built the Perfect Wireless Speaker” Bloomberg、Ryan Bradley、2014年10月30日
- “The Story Behind the Wireless Music System 10 Years in the Making” Mashable、Amy-Mae Elliot、2011年12月8日
- “How a Beatles producer is helping Sonos reimagine the way we hear music” Fast Company、John Paul Titlow、2015年9月29日
- “The Infinite Music Collection” Joel on Software blog、Joel Spolsky、2006年11月9日
- "Gadget That 'Streams' Music Around House Is Terrific but Pricey" The Wall Street Journal、Walt Mossberg、2005年2月24日